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東京高等裁判所 平成8年(う)466号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、横浜地方検察庁検察官佐々木博章作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人山本安志及び同小村陽子共同作成名義の控訴趣意書に対する答弁書及び同補充答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、要するに、被告人を懲役一年、五年間執行猶予に処した原判決の量刑は軽過ぎて不当である、というのである。

そこで検討するのに、本件は、被告人が覚せい剤を自己の右腕に注射して使用したという事案である。

覚せい剤の使用自体強い社会的非難に値するうえ、被告人は、平成五年ころから覚せい剤の使用を繰り返し、平成七年七月覚せい剤の自己使用の罪により、懲役一年六月、三年間執行猶予に処せられたにもかかわらず、程なく再び覚せい剤に手を出し、前回の裁判から三か月もたたないうちに本件犯行に至ったもので、もとより犯行の動機に酌むべき点は全くないうえ、被告人の覚せい剤に対する依存性、親和性は顕著であり、本件犯行後幻覚症状が発現していることからしても、被告人は相当に覚せい剤に蝕まれていたものといわざるを得ない。そして、被告人は、運送会社を営む実父の下での生活を嫌い、二二、三歳のころから二、三年間右会社で働いたほかは、解体工、パチンコ店店員、運転手、飲食店店員等の職を転々として家に寄りつかず、その間自動車購入資金や生活費、遊興費等のため農協、信販会社、いわゆるサラ金などから借金を重ねて取立てに追われるようになり、そのような不健全な生活のなかで、覚せい剤の使用に陥ったもである。右のような諸事情に照らすと、被告人の刑責は重いというべきであり、被告人がこれまで音信不通の状態にあった実父に覚せい剤を断ち切るための助力を求め、同人において、警察に通報して被告人の処遇を刑事処分に委ねる一方で、薬物依存症治療のため専門の病院への入院の手はずを整え、本件の背景となった被告人の借金についても弁護士にその法的整理を依頼するなどして被告人の監護態勢を整えたこと、被告人が本件を深く反省して右監護に服する意向を示していたことなどの被告人のために酌むべき事情を斟酌しても、原判決の時点を基準とする限り、本件が情状に特に酌量すべきものがあって再度の執行猶予を付すのを相当とする事案とは認められず、被告人を懲役一年、五年間執行猶予、付保護観察に処した原判決の量刑は軽過ぎて不当であったといわなければならない。

しかし、当審における事実取調べの結果によると、被告人は、原判決宣告後直ちに両親らとともに前記病院を訪れ、平成八年一月一九日同病院に入院し、当初は閉鎖病棟で、同年五月一日以降は開放病棟に移って薬物依存症の治療を受け、その後半年の間に治療の成果も着々と挙がって、現在では入院当初残存していた過敏、過感、猜疑的な構え等の精神症状もほぼ消退し、外泊の試行も良好な結果で推移して、引き続き同病院で専門的治療を継続することにより、覚せい剤依存症から脱却することが見込める状況にあること、そのような治療生活の中で、被告人の反省の情も一層深まっていることなどの諸事情が認められ、原判決時に存した前記事情に、その後に生じた右の事情をも合わせて検討すると、現時点においては、被告人を右良好な治療環境から引き離して矯正施設に収容することについては、矯正施設における治療もある範囲では可能であることを考慮しても、なお躊躇を感ぜざるを得ず、被告人に対しては専門機関の指導監督、補導援護をも与えつつ社会内における更正の機会を与えるのが相当であるというべきである。

ところで、控訴審が刑事訴訟法三九三条二項により、量刑に関する事情に関し原判決後に生じた事実を取り調べた場合は、控訴審はいわゆる続審となり、判断の基準時もその判決時になり、ただ原判決を破棄するについては、同法三九七条二項により明らかに正義に反することが必要とされると解するのが相当であるから、本件のように、原判決の量刑がその時点では不当であっても控訴審の判決時には相当と認められるときは、控訴を棄却すべきものと考えられる。

そうすると、被告人を懲役一年、五年間執行猶予、付保護観察に処した原判決の量刑は、現時点においては相当と認められるのであるから、結局、論旨は理由がないことに帰する。

よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長小林充 裁判官 福崎伸一郎 裁判官 多和田隆史)

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